2014年8月17日日曜日

日本語がうまいということ

グローバルとかリーダーシップとかイノベーションとかクリエイティブとかバズワードが飛び交う世の中ですが、自分の「グローバルで無さ」よりも「日本語の下手さ」を実感することが多い今日このごろです。

英文をネイティブ・チェックしてもらうと色々な細かい点に修正が入るのは当然のことですが、日本語で書いた文章を後で見返してみても結構修正が多いのに驚きます。
(例えば「後で見返す」というのは「見返す」という言葉自体に「後で」という意味が含まれているのではないか?とか)

多分私が日常的に書く書類の量というのはそれほど大したことはないと思うのですが、例えば資金獲得などのためにちゃんとした文章を書くと結構な時間がかかります。
勿論書いた数だけ文章の作成スピードや質は上がっていくと思うのですが、「こなれた感」はある割にイマイチグッと来る文章になっていかないのも事実です。

実際のところ文章の上手さというのは語彙の豊富さや文章的な技巧だけでなく、「どれほど伝えたいことがあるか」とか「どれほど内容に自身が納得しているか」にも大きく影響されるものです。
仕事の文章のクオリティ向上などはロジカル・ライティングなどの本で補えるところが大きいのではないかと思いますが、それが言説の「面白さ」には残念ながら直結しないようにも思います。

自戒の念を込めて、自身の伝えたいことを日本語で伝えられるようにという意識がもっと必要だと思います。グローバルな人材を育てたいといって躍起になっても、グローバルであること自体が目的化している場面が散見されたり特にグローバルである必要がない人をグローバルにすることの無意味さを若干ながらも感じているからです。

「グローバルな人材」というのがアメリカの大学で学位を取る/ 国際機関で働ける/ 外務省に勤務できる/ 国際的な企業で働けるといったどうも対症療法的な定義になっていたりすることも多く、そういったゴールが格好よく見えるのはわかります。またパッケージの美しいものを獲得するには勿論それなりの苦悩があると思いますし、そういった経験を一次経験として体験していない自分には決して否定出来るものではありません。(特に否定する気も無いのですが)

ただ結局、伝えたいことがある人ってどのくらいいるんだろうなあと疑問にも思います。
結局日本語の下手さというのは伝えたいことの薄さにも起因すると思うので、結局自分の日本語の下手さというのは「面白く無さ」であり上記の薄さが原因なんだろうなと思います。

ということでブログが役に立つかはあまり分かりませんが、日本語のうまい人間になるために日本語のうまい人の文章を読んだり伝えたいことは形にして確認したいなと思っています。


あとがき
画像がないとポップさに欠ける記事になりますね。

0 件のコメント:

コメントを投稿